ジャズサックス奏者にとって、ピアノ、ベース、ドラムからなる「ワンホーンカルテット」を率いて演奏するということは、まさに王道であり、憧れであると思います。
しかし、僕の音楽人生を振り返ってみると、意外とこのフォーマットに取り組んで活動した経験が少ないように感じます。
僕が20代間もない頃、初めてアコースティックなジャズグループを結成したのは、ベース、ドラムとのトリオでした。
当時、折しもフュージョンブームが影をひそめ、スタンダードなアコースティックジャズの再認識が蔓延していた日本ジャズ界で、あえてこのシンプルな編成で挑んだことは、いささか無謀であり、自分へのチャレンジだったように思います。
ハーモニーを形成するコード楽器であるピアノを排除したことによって、フロントでメロディーを演奏するサックスに、サウンドの比重を、ぐっと持って来ることで、案の定、自分には非常にハードルの高い演奏スタイルになりました。
空間が与えられることによって、より自由な演奏が出来る反面、それだけに、かなり説得力のある表現が必要になってくるわけです。
それまでシンプルで、ポップなフュージョンを好んでいた僕が、いわゆる「ジャズ」を演奏するにあたって、当時は、相当な「つっぱり根性」みたいなものがありました。
「どうせやるなら、硬派でストイックなものにしたい」
という、半ば頭でっかちで、何か根拠のない意気込みだけは人一倍あったのです。
若さゆえの暴走のような勢いで、サウンドスタイルは徐々に前衛的なものになっていきました。
また、その頃幸運なことに、日本ジャズ界の大御所で、ピアニスト、アレンジャーである渋谷毅さん率いる「渋谷毅オーケストラ」に、赤ん坊同然の僕がレギュラー参加させていただいておりました。
この通称「渋オケ」は、自由度の高いスタイルを持った百戦錬磨で個性派の強者揃いで、僕の師であるテナーサックス奏者の峰厚介氏も在籍していました。
しっかりとした裏付けのもとに、オープンな即興演奏を奏でる素晴らしい先輩方に囲まれて、僕は毎回、衝撃的なショックを受けていました。
僕が考えているような演奏方法だけでは到底かなわない。
当然のことではありましたが、結局「渋オケ」には、21歳から28歳まで在籍させていただき、自分探しの為に退団致しました。
その後、僕はニューヨークへ渡り、帰国後から現在に至るまで「JAZZ ROOTS」というコンセプトに自分の表現の場を求め、オリジナルのフュージョンスタイルの演奏に重点を置いて活動してきました。
しかし、そのサウンドの中には、いつも、若い頃に学んだ、フリーフォームなスタイルが根付いているのです。
最近、古くからの友人で同年代のドラマーである、井上功一と、
「俺達、今まで一緒に真っ向からスタンダードジャズをやるバンドを作ってないよな。やってみようよ。」
という話になりました。
王道でありながら、あえて避けてきた気がする、
「ワンホーンカルテット」
このタイミングで、僕が今まで培ったスピリッツを活かして、また新たなチャレンジがひとつ、始まろうとしています。
2006.11.23
臼庭潤